2011/06/15

歩み その4

前回まで、バスケットボールの最初のルールを簡単に紹介してきました。


その後、ルールは時にはゆっくりと、時には迅速に変化を遂げてきました。ゴールは桃の籠から針金を編んだ筒状のものに変わり、




バックボードが新設されました。当時面白がった観客はゴールに入りそうなボールをかき出したりして、点数の入るのを邪魔したそうです。それを防ぐために 3.6m×1.8mの板が取り付けられました。


ボールも今迄はフットボールに近かったものが、フットボールよりも大きくなり、1894年公式ボールに取り換えられ、翌年 1.8m×1.2mのバックボードが認められ、フリースローが始まりました。


1897年に1チーム5人と定められました。今では考えられませんが、それまではコートにプレーヤーがあわせて50人という試合も見られたそうです。


1896年まではネイスミス博士がルールを管理していましたが、その後アマチュア・スポーツ連盟がルールの管理を行うこととなっていきます。


1905年までバスケットボールは、中学校、大学、教会のクラブ、軍隊、そして世界へ広がっていきます。


1924年に初のオリンピックの公開競技となります。


1927年には、皆さんもどこかで見たことがあるかもしれませんが、ハーレム・グローブトロッターズが編成され、普及とともに見るものを楽しませる優れた技術を紹介していきます。



ちょっと横道にそれましたが、ルールはアメリカから伝えられるものしかなく、国際的に統一されていませんでしした。
やっと1932年に世界YMCA委員会の協力により、国際アマチュア・バスケットボール連盟(FIBA)が8か国によって設立され、国際ルールの統一と進みました。


そこで決められたことは

・各チームはプレーヤー5人、およびゲームに2回まで出場できる交代要員2人とする
・フィールドゴールまたはフリースローによる得点のあとは、センターでのジャンプボールでゲームを再開する。


世界ルールを統一することは大変でした。オリンピックまで時間がなく、早急に統一が図られました。



ルールは4年ごとに、オリンピック大会のたびに改訂することが決められ、以後現在に至るまで継続されています。


そして、1935年オリンピック正式種目として承認され、ベルリンオリンピックで世界的に共通性のある競技として認められていきます。



蛇足ですが、このベルリンオリンピックでアメリカがカナダに19対8で勝ち、金メダルを獲得しました。また金メダルを授与したのはネイスミス博士だったそうです。


しかしながら、この時のバスケットボールは現在のバスケットボールとはまだ異なるスポーツのような競技でした。この後、ピボットやドリブル、ジャンプショットなど技術が認められていき、ルールも細分化して現在の姿に変わっていきます。



歩みに関してはここまでに。
次はどんな話になるかは、ご期待下さい。